大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 平成8年(う)114号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人服部弘昭提出の控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官金田茂提出の答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  刑訴法三七八条二号違反の主張について〈省略〉

二  法令適用の誤りの主張について

所論は、要するに、被告人が欺罔手段によって簡易生命保険の保険証書を騙取したとして詐欺罪の成立を認めた原判決は、刑法二四六条一項の解釈適用を誤ったものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、すなわち、右保険証書の騙取は国家的・社会的法益を侵害するものにほかならず、詐欺罪の定型性を欠いており、保険証書は個人の所有権の客体となるべきものではないから刑法にいう財物に該当しないうえ、本件における被告人の行為は、間接正犯として権限ある公務員をして内容虚偽の保険証書を作成させるという公文書の間接正犯的無形偽造行為にほかならないところ、このような公務所の証明書に不実の記載をなさしめる行為は、刑法一五七条二項により、特に免状、鑑札又は旅券に限って処罰することとされ、しかも不実記載にかかる免状等の下付を受けても、別に詐欺罪が成立しないと解されていることに照らせば、虚偽の申立てにより同項に掲記されていない公文書である保険証書に不実の記載をなさしめた場合、刑法は当該保険証書の受交付を詐欺罪として処罰しない趣旨であると解される、また、保険証書の騙取は、保険金騙取の未遂形態であるのに、これを独立の犯罪として詐欺罪の成立を認めるのは、不当な二重処罰に当たり、最高裁判例(昭和四九年五月二九日大法廷判決三件・刑集二八巻四号一一四、一五一、一六八頁)にも反する、というのである。

そこで判断するに、簡易生命保険は、国が行う営利を目的としない事業であり、簡易に利用できる生命保険を、確実な経営により、なるべく安い保険料で提供することによって、国民の経済生活の安定を図り、その福祉を増進することを目的とするものであって、被告人の、欺罔的手段を用いて簡易生命保険を締結したうえその保険証書を騙取するという行為が、右のような行政目的を内容とする国家的法益の侵害に向けられた側面があることは否定できないとしても、そのことから直ちに、刑法の詐欺罪の成立が否定されるものではなく、それが同時に、詐欺罪の保護法益である財産権を侵害し、その行為が詐欺罪の構成要件に充足するものである場合には、詐欺罪の成立を認めることができるものと解される。そして、簡易生命保険の事業は、右のような行政目的を有するものの、その行う事業内容は生命保険という保険業務であって、私企業の行う生命保険業務の内容と本質的に異ならず、経済活動の色彩が強いものであるうえ、保険証書は、簡易生命保険契約の成立及びその内容を保険者に対する関係で証明する文書として、保険契約の成立に伴い保険契約者に交付されるものであって、その文書としての性質上保険契約者の所有権の対象となる有体物であるというべきであり、その効用について見ると、そこに記載された契約の内容に関しては真実であると事実上推定されるとともに、約款上、保険給付を受ける場合その他保険契約上の各種異動変更が生じたときには、これを郵便局に提出すべきことが要求される(その後も契約が継続する場合には、保険証書にその事由が記載されるなどして再び返還される。)一方、保険者である国が、保険証書を呈示する者に対して弁済したばあいには、原則として免責されることになると解すべきであるから、保険証書は保険契約上の重要な文書であり、それ自体経済的価値効用を有するものであって、刑法上保護に値する財物にあたり、欺罔によってこれを騙取した場合には詐欺罪の成立を認めるのが相当である。

そして、保険証書自体が、右にみたとおり、重要な社会生活上の経済的価値効用を有するものである以上、刑法一五七条二項所定の公文書の場合と同様に考えることはできず、同規定が存在するからといって、本件において、詐欺罪の成立を否定することはできない(因みに、このような規定のない、私文書である保険証券の騙取については、詐欺罪の成立を認めざるをえないと思われるが、これと同様の性質を有する簡易生命保険の保険証書の騙取について詐欺罪の成立を認めないのであれば、その間に不均衡が生じる。)。

また、保険証書の騙取が、保険金騙取の前段階に位置し、その手段的な行為であるとしても、原判決が説示するとおり、保険証書は、金具(保険金)とは別個の、刑法上の保護に値する財物であるから、その騙取について独立して詐欺罪の成立を認めて差し支えはなく、所論掲記の最高裁判例は、刑法五四条一項にいう「一個の行為」の意義について判示したものであって、本件に適切な判例であるとはいえない。

従って、本件被告人の所為に刑法二四六条一項を適用した原判決に法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

三  事実誤認の主張について〈省略〉

四  量刑不当の主張について〈省略〉

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂井智 裁判官 大原英雄 裁判官 林田宗一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例